そうして旅館に戻りますと、
ちょうど玄関に、茶トラがいまして。
お出迎えしてくれました。
茶トラは私の顔を見上げ、まるで待っていたかのように、ニャーと鳴き、
とっとっとっ、と廊下を歩き出しまして。
「ホラ行くよ!」という感じで、時々振り返りながら、
部屋まで案内してくれました。
途中、柱で爪を研いだりして。
「ホラ、ここで爪を研ぐよ!」と言っているのでしょうか。
いえ、私は結構ですので…。
そうして部屋に入りますと、
茶トラはするするっと、こたつの中に入りました。
もう、なんの迷いもなく、自然に。
茶トラは本当に、このこたつがお気に入りなんだなあ。
そう思いながら肩のリュックを降ろし、ふと横に目をやると、
なんと布団の上には、黒猫がいました。
おう、わりーな、先に休ませてもらってるぜ。
そう言っているようです。
い、いつの間に…。
いえ、いいんですけどね、別に。
私は全然構いませんよ。
部屋の戸は開けてますし、いつでもどうぞ。
その後、私はまた、温泉に入りました。
この宿での湯治も、もう3日目。
夕食の前に、ぬる湯に浸かるというペースが、
自分の中に出来てしまった感じです。
1時間ほど、ゆっくりとぬる湯を楽しみ、
渡り廊下を歩いて部屋へと戻る途中の窓から、
玄関前にタクシーが止まっているのが見えました。
ああ、また新しいお客さんが来られたのかな。
そう思って見ていると、
年配の男性がタクシーから降りました。
50代の後半といったところでしょうか。
白髪の具合が、なんとなく、会社で昔の上司だったサカモトさんに似ています。
すぐに心の中で、サカモトさんと名前をつけました。
部屋に戻りますと、2匹の猫は、それぞれの状態でくつろいでいました。
黒は布団の上で、大あくび。
茶トラはこたつの中で、すやすや。
それにしても、黒と茶トラの場所が、うまい具合に分かれているものです。
二人で話し合っているのかな…なんて思ったりして。
私は茶トラの邪魔にならないように、こたつにそっと足を入れ、
ごろんと横になりました。
二匹の猫のいる部屋で、静かに横になっていると、
窓の外からは、またウグイスの声が聞こえてきます。
もしかしたら今、この部屋は、世界中で一番平和な空間なのではないか。
そんな気がしました。