今日、東北ユースオーケストラは無事に東京公演を終えて、
2022年演奏会のフィナーレを迎えている筈だ。
そこで、3月22日の盛岡公演の感想を書いておきたい。
会場の様子は、のんさんのブログに掲載されている写真が素晴らしい。
オーケストラ舞台側からの、この写真。
どこかに僕も写っているかもしれない。
今年、のんさんが朗読された詩の中では、
とりわけ、宮沢賢治が心に残った。
「今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです」
のんさんの声は、宮沢賢治と、とてもよく合う。
言葉のひとつひとつ、音のひとつひとつが、
会場の空間を、宮沢賢治の世界そのものに作り変えていくようだった。
この朗読を聞けただけでも、盛岡まで来た甲斐があったと、心から思った。
そして、坂本龍一の新曲。「いま時間が傾いて」
いったいどんな曲なのだろうという期待。
ようやく、やっと、本当に聴けるという喜び。
そんな感情が入り混じった中で、演奏が始まると、
僕の頭の中には、ひとつの光景が浮かび上がった。
映画のサウンドトラックを聴いているかのように、
目の前のオーケストラが演奏を進めるにつれて、
僕の頭の中でも、映像が流れていく。
森、
暗く深い森、
森の中に流れる白い霧、
走る男、
何かから逃げている、
そんな景色が、イメージとして次々と頭の中に浮かぶ。
まるで短編映画を見ているようだった。
演奏の中でひとつ印象的だったのは、シンバルの音だ。
中盤からシンバルが入るのだけれど、
それが普通のオーケストラのシンバルではなくて、
クローズド・ハイハットのような音の使い方をする。
その規則的な閉じた音が、有機的なオーケストラの中で、
時を刻むような役割を果たし、聴衆を時間の流れに乗せて、
どこかへと運んでいく。そんな感じだった。
そして、曲のラスト。
それはあまりに力強く、衝撃的な終わり方だった。
こんなにも毅然とした音で締めくくられる音楽を、僕は他に知らない。
まるで全てを断ち切るようなフィニッシュ。
そして、空間に溶けて消えていく残響。
息を呑むようだった。
こんなに難解で、複雑な曲を、若者のオーケストラが演奏するのは、
とても大変だった筈だ。曲の解釈という点でも、テクニックの面でも。
それを素晴らしい完成度で演奏し切ったユースオーケストラの皆さんに、
心から拍手を送った。
ちなみに、これが公演翌日の新聞、岩手日報に掲載された記事。
ここに書かれている、
「哀切な音調から律動が始まり、祈りに至る佳曲がここに生まれた」
という文章を読んで、僕はホテルの部屋で、深く頷いた。
さすが新聞記者さん。「いま時間が傾いて」の音楽を、
とても的確に表現されている。
ともかく、こうして東北ユースオーケストラの盛岡公演は終わった。
今日の東京公演では、さらに大勢の聴衆が、その素晴らしい演奏に魅了されたはずだ。
パンデミックの影響で3年ぶりの公演となった中、3月16日の地震で、宮城、福島の2会場の公演が突然の中止となってしまったのは、とても残念なことだったけれど。
でもきっと来年には、もっと完全な形で活動が出来るはずだ。
そして来年には、体調を回復された坂本龍一教授も一緒に参加されて、
また東北の地でオーケストラの演奏が楽しめるだろう。
そんな期待に、今から胸を膨らませている。