ひとつ前の、
を書いて、思い出したことがあります。
宗像大社へ行く前の日、
香椎宮(かしいぐう)という神社にお参りした時のことです。
(香椎宮のご神木)
香椎宮というのは、福岡の中心部からそれほど遠くない所にある神社です。
私は今回初めて行ったのですが、神社へ続く緑の並木が鮮やかで美しく、
車で走りながら、とても清々しい気持ちになりました。
その香椎宮のすぐ近くに、不老水という井戸があります。
すごい名前ですよね、不老水。
とても古くから伝わる、由緒ある井戸のようです。
こんな風に、小さな祠になっていて、
祠を開けると、木の蓋のついた丸い井戸があります。
蓋を開けるとこんな感じで、井戸水が湧いているのです。
とてもおいしいお水です。
祠の周りは普通の住宅地で、香椎宮から道案内の標識があります。
歩いてすぐのところです。
近くのお宅では、きれいな花が咲いていました。
いいところですね。
さて、それで。
香椎宮の神社へお参りした後、道案内に沿って、
不老水へぶらぶら歩いていた時のことです。
曲がり角の向こうから、おばちゃんの話し声が聞こえてきました。
見ると、不老水の祠の手前に、鳥居がありまして。
その鳥居の下で、二人のおばちゃんが話をしていました。
私は、邪魔になったら悪いなと思い、
曲がり角の手前で立ち止まって、少し様子を伺いました。
すると、ひとりのおばちゃんが、鳥居に向かって石を投げています。
よく、子供がやってますよね。
鳥居の真ん中の、空いたところに石を投げて、
乗せようとするじゃないですか。あれです。
おばちゃんは、鳥居の下にしゃがんで、
石を拾っては投げ、また拾っては投げていました。
運動会の、玉入れみたいに。
でも、石はなかなか鳥居に乗りません。
もう一人のおばちゃんは、きっと友達なのでしょう。
その様子を見ながら、傍に立って話をしています。
私は、どうしようかなと思いながら、
しばらくその場に立ち止まっていました。
おばちゃんは、何度も何度も、石を拾っては投げ、
拾っては投げ、を繰り返しています。
もう一人のおばちゃんは、その様子をにこやかに見ながら、
二人で話をしています。
なんだかとても和やかな雰囲気だったので、
そのうち、私もいいかな、と思いまして。
ゆっくりと鳥居へ歩いて行きました。
二人は、私に気づきました。
「どうも」みたいな感じで、お互いに会釈して、
でもその後、別に私を気にする様子はなく、
おばちゃんは石を拾っては投げ、
もう一人のおばちゃんは、話を続けました。
私も、鳥居の手前に立ち止まって、二人の姿を眺めていました。
どうなるのかな、と思いながら。
すると、ついに石が鳥居に乗ったのです。
おばちゃんは、子供みたいに喜んでいました。
よかったよかった、という感じです。
私もなんだかほっとして、胸を撫でおろし、
「おめでとうございます」
と声をかけて、鳥居をくぐりました。
おばちゃんは、
「ありがとう」と返してくれた後で、
ぼそっと、こう言いました。
「息子が病気しとるけん、治ってもらわにゃ」
ああ、そういうことだったのか、と思いました。
おばちゃんは、息子さんの病気の治癒を願いながら、石を投げていたのです。
願掛けですね。
だから諦めずに、何度も何度も繰り返していたのです。
私に見られても気にすること無く、恥ずかしがることも無く。
ただ一心に、投げ続けていたのだと思います。成功するまで。
私は鳥居をくぐって祠へと歩き、不老水をいただきました。
容れ物を何も持っていなかったので、
備え付けのひしゃくで掬った水を、手のひらに受けて飲みました。
そして祠を閉めて、鳥居を出ると、
二人のおばちゃんは、道の少し先で、まだ話をしていました。
きっと二人ともこの近所の方で、毎日この水を汲みに来られているのかな。
そんな感じでした。
私は鳥居を見上げ、写真を撮りました。さっきの写真です。
だからこの写真には、おばちゃんが載せた石も、写っているかもしれません。
おばちゃんの、息子さんへの想いがこもった石です。
私は不老水を後にして、
香椎宮へと戻る道を歩き出しました。
曲がり角で振り返ると、おばちゃん二人はちょうど、
話をしながらこちらへ歩き出したところでした。
二人そろって歩いて来る、その小さな姿が、
なんだかとても尊いように思えて、写真を撮りました。
そして住宅街を、またぶらぶらと歩いて、
香椎宮の入り口に戻ると。
なんと今度は、小さな女の子が鳥居の下にいて、
また石を投げていました。
偶然て、重なるものですね。
私はまた、少し手前で足を止めて、
どうなるかな、と思いながら、様子を見ていました。
でも残念ながら、彼女はうまくいかなかったようで。
何回か試した後で、諦めて走って行きました。
やっぱり、子供にはちょっと難しいですよね。
さて、それで。
前の「祈る心を空中に浮かべる」を書いた後で、
ふと、この出来事を思い出したのです。
鳥居に石を投げて乗せていた、おばちゃんと、女の子のことを。
石を投げて鳥居に乗せるというのは、まさに、
「祈る心を空中に浮かべる」そのものだな、
と思ったのです。
おばちゃんは、息子さんの平癒を祈って、
その祈りを込めた石を、鳥居に乗せて、浮かべたわけですよね。
その祈りは、もうそのまま、神様が天に届けて下さるような、
そんな気がするじゃないですか。
だからきっと、これも「舞」(まい)なのかもしれません。
舞を舞い、天に向かって手を差し伸べること。
鳥居に向かって、願掛けの石を乗せること。
それはどちらも同じことで、
祈る心を空中に浮かべることなのかもしれないなあ、
と、そんな風に思ったのでした。