ぼっこメモ

メモですから、ほんと。メモです。

祈る心を空中に浮かべる 〜 瑞穂舞 奉納(宗像大社)


先日、ちょっと考えたことがありまして。

「ま」とは何か、ということです。

 

どういうことかと言いますと。

つい先日、福岡の宗像大社(むなかたたいしゃ)へ行きまして。

そこで、瑞穂舞(みずほまい)の奉納を見たのです。

 

 

舞を「見た」なんて言っちゃダメですね。

奉納舞ですから。神様に捧げる踊りですから。

観覧させて貰った、拝見させて頂いたわけです。

 

瑞穂舞(みずほまい)というのは、私は詳しいことは全く知らないのですが。

瑞穂(みずほ)さんという女性が創られた踊りなのだろうと思います。

 

瑞穂舞は、福岡、佐賀の他に、京都と東京にも教室があって、

稽古をされた方々が、色んな神社で舞を奉納されているようです。

舞を披露される前に、そんな説明がありました。

 

神様に捧げる踊りだから、巫女舞(みこまい)ですね。

だから皆さん女性です。白い衣装をまとわれて。

髪は長く伸ばしたのを、乙姫様みたいな感じに結っていらっしゃいました。

きっと、そういう統一した作法があるのでしょう。

神様へ捧げるわけですから。

 

奉納舞なので、撮影はなるべく控えて、

私は後ろのほうから拝見していたのですが。

せめて雰囲気だけでも伝わればと、途中で1枚。

 

 

それでですね。その踊りがとても美しくて。

いくつかの演目(と言っていいのかな)があったのですが。

「女神の祈り」という舞を見ていたら、涙があふれてきたのです。

 

舞われている女性たちが、

空へ向かって手を伸ばすところがあったのですが。

その所作が、とてもきれいで。本当に、天女のようで。

みんなそのまま天に昇って、飛んで行ってしまうのではないかと。

そんな錯覚に陥るような美しさで。

見ていて涙が止まりませんでした。

 

という体験を、つい先日、宗像大社でしたのです。

はい。

 

それで、そのあと、深く考えまして。

 

「舞」とは一体、何だろう。

「舞う」というのは、一体どういう事だろう、と。

 

そうするとですね、

「舞」(まい)にしても、

「舞う」(まう)にしても、

どちらも、「ま」という音だと気づくわけです。

 

それで結局、

「舞とは何か」という疑問は、

「ま」とは一体、何だろう?

という疑問になりました。

 

それで、ここからは私の勝手な思いつきなのですが。

「ま」という音には、

「浮かぶ」「浮かべる」

という意味があるのではないかと。そんな風に思ったのです。

なんとなく、感覚的に。

 

だから、

「舞い」「舞う」というのは、

「浮かぶ」「浮かべる」ということ。

そういう行為なのではないかと。

そんな気がしたんですね。

 

では一体、何を浮かべるのかというと、

それは心でしょう。

「祈る心」を空中に浮かべる、ということです。

 

人の祈りは、そのままではなかなか天に届かないので、

舞を舞うことによって、祈る心を空中に浮かべるのではないかと。

 

そうすれば、あとは何かの存在が、

(よくわかりませんが、精霊であるとか、何らかの存在たちが)

空中にたゆたう祈りを運んで、天まで届けてくれるのではないかと。

きっと、そういう事ではないかと思ったのです。

 

だから古来から、人は舞い、

祈る心を空中に浮かべて、天に捧げてきたのだろうと。

それが、舞というものなのだろうと。

そんな風に思ったのでした。

 

これは舞の後、記念撮影の様子。

 

 

ひとり、巫女さんが写真を撮っていらっしゃいました。

宗像大社の広報の方かな?なんて思ったりして。

 

奉納舞が終わったのは夕方6時。

駐車場に行くと、もう暮れゆく空。

 

 

とても貴重な体験でした。