ぼっこメモ

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「かぐや姫の物語」のラストシーンで、どうしても納得できない事

 

先日、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」を観てとても感動したという話を書きました。

bocco.hatenablog.jp

11年ぶりに作品を見て、本当に感動したのですが。

しかし、あの映画のラストシーンには、どうしても納得できない点が2つあります。

 

物語のラスト。

かぐや姫を月に連れ戻すために、月世界の使者たちが空からやってくるのですが。

映画では、その様子がまるで「阿弥陀来迎図」のように描かれています。

阿弥陀来迎図)

 

月世界からの使者たちが、雲のようなものに乗って、

「来迎図」のように一斉に、静々と舞い降りてくるのですが。

その使者たちの真ん中に、仏様がいるのです。

阿弥陀様か、お釈迦様か、わかりませんが。

明らかに仏様の姿をした存在が、真ん中にいるのです。

ここが、どうしても納得できません。

 

だって変ですよね?

月世界というのは、仏様の世界なのでしょうか。違うじゃないですか。

どうしても、強い違和感を感じてしまいます。

 

例えば、ですよ。

ちょっと極端な例えをしますが。浦島太郎で考えてみてください。

浦島太郎が、亀に連れられて海の世界へ行きます。

たどり着いた竜宮城。

もしそこで出てきたのが、乙姫様ではなく、仏様だったら。

どうでしょうか。変ですよね。

竜宮城という海の世界が、突然、仏教という宗教世界に変わってしまうわけです。

 

私が「かぐや姫の物語」のラストに感じるのは、そういう違和感なのです。

月世界からの使者の真ん中に、なぜ仏様がいるのか。

月世界は、仏様の世界とは違うのではないか、と。

 

どうしても気になったので、原作の「竹取物語」を読んでみました。

すると、竹取物語のラストでは、月からの使者たちは、「天人」(てんにん)という言葉で描かれています。

そして、その中心人物は「天人の王」という表現になっています。

やっぱり、仏様ではありません。

 

 

それでは、高畑勲監督は、なぜ「天人の王」を、仏様として描いたのか。

なにか深い考えがあって、そうしたのか。

あるいは、単なる誤解なのか。

謎が深まります。

 

高畑勲展」を見た後、ミュージアムショップをぶらついていたら、

かぐや姫の物語」を特集した「美術手帖」があったので、買いました。

映画の公開当時、2014年1月号です。

 

 

果たして、ここに何かヒントになるような情報があるか、わかりませんが。

この問題については、もう少し考えてみたいと思っています。

 

それから。

この映画のラストシーンには、もうひとつ、どうしても納得できない点があるのですが。

ちょっと長くなってしまったので、また次の機会に書きたいと思います。