ぼっこメモ

メモですから、ほんと。メモです。

蓮の花の記憶:祈り・藤原新也(世田谷美術館)

 

人の記憶が、いかにあてにならないものか。
という話を少し。

 

先々週のことですが。
藤原新也の写真展に行きました。

世田谷美術館で開催中の、
「祈り・藤原新也」です。

 

なにしろ藤原新也の写真なので、
シンプルに感想を書けるようなものではなく。
どうしようかと思っていたのですが。

とりあえず、蓮の花の写真について
書いておこうと思ったのです。

 

それは会場に入ってすぐのエントランスに飾られている、
とても大きな写真です。

バリ島で撮ったものだそうで。

蓮の花のまるいつぼみが、
日の出に合わせて開く、まさにその瞬間を撮ったのだと。
そんな解説が、横に書かれていました。

その写真については、藤原新也ご本人が、
ポッドキャストで語られていて。

なぜこの花を、こんなに大きく展示したのかと。
そういう話をされているんですね。

spinear.com

私は写真展を見てきた後で、
このポッドキャストを聞きまして。
ああ、そういえば確かに、蓮の花の写真があったなあ、
と思ったのです。

 

それでですね。
いつの間にか、その蓮の花の写真が、
私の中でどんどん強く印象づけられて。

まるいまるいピンクのつぼみが、
まさにポンと割れるその瞬間が、
くっきりと鮮やかに捉えられた、
美しい写真として、私の記憶の中で、
いつの間にか美化されていたようなのです。

 

それで、とにかく。
あの蓮の花の感想だけでも、
ちゃんと書いておかなければと。
そう思いまして。

さっき、写真展の会場で撮った、
写真を見てみたのです。

(展示作品は基本的に、撮影可となっていました)

それが、これです。


あれ??
この写真を見て、
私はちょっと、愕然としました。

自分の記憶に残っていた蓮の写真とは、
全く違っていたからです。

 

まるいまるいピンクのつぼみ?

ポンと割れたその瞬間?

おかしい、全然違うじゃないか。

この写真では、花はもう、完全に開き切っています。

 

私が見たはずの、開きかかったまるいつぼみの写真は、

一体どこにあったのでしょうか。

 

そう思いながら、呆然とこの写真を見ているうちに、

そうだ、もしかしたら、まるいつぼみの写真は、

この開いた花のパネルの反対側にあったのかもしれない。

と思い至りました。

 

でも、どうしても自信が持てません。

本当に、向こう側には、

まるいつぼみの写真があったのだろうか。

わかりません。

 

もしかしたら、そんなものは初めからなくて、

私の頭の中で、私が勝手につくりあげた、

幻想だったのかもしれません。

 

ほんの2週間前に、

自分で見てきたばかりの写真展なのに。

もうすでに、そんな風に曖昧な記憶しか
残っていないなんて。

 

まったく、人間の記憶なんて、

本当にあてにならないものだと。

自分の記憶の悪さにあきれつつ、

でも、どうにも釈然としない思いで、

いっぱいなのです。

 

確かに見たはずなんだけどなあ、

本当に。うーん。