ぼっこメモ

メモですから、ほんと。メモです。

さくらももこ展(静岡市美術館):「少女の絵」が語るもの(その3)


静岡市美術館で開かれている、「さくらももこ展」の続きです。

 

 

さて。

ようやく最後の展示について書けるようになりました。

 

それは、会場の出口近くに飾られている、1枚の絵です。

タイトルは、「少女の絵」。

とてもシンプルなタイトルです。

 

描かれているのは、一人の少女。

少女がじっと、こちらを見つめています。

ただそれだけの絵です。

それだけの絵なのですが。

 

私はその絵を一目見たとき、そのまま目を離せなくなってしまいました。

少女はじっと、こちらを見つめています。

黒く、つぶらな瞳です。少し潤んでいるようにも見えます。

その瞳は、何かを伝えようとしているようです。

 

少女は微笑んでいます。口元で、それがわかります。

でもその微笑みは、無邪気な子供の笑顔ではありません。

口元では笑いながら、目では何かを訴えている。

じっと、何かを伝えようとしている。

そんな、ちょっと不思議な絵なのです。

 

私は少女の目に引き込まれ、じーっと彼女を見つめました。

彼女も黙って、じーっと私を見つめていました。

 

そして気がつくと、私は泣いていました。

涙が次々と溢れて、頬を伝います。

涙を拭って、鼻をすすりながら、

私はじっと彼女を見つめていました。

 

幸い、もう閉館時間に近い時間帯だったので、入場者はまばらで。

その展示エリアにいたのは、私の他には、美術館の女性職員だけでした。

だから私は、誰からも怪しまれることなく、泣き続けながら、じっとその絵を見ていることができました。

 

(注:これは「少女の絵」ではありません)

 

じっと見ていると、少し絵の中の少女の気持ちがわかったような気がしました。

それは錯覚かもしれませんが。

でも、絵の中の彼女は、少し戸惑っているようでした。

 

もしかしたら彼女は、自分自身が自分自身であることに、

うまく馴染めていないのかもしれない。

そんな気がしました。

 

彼女の中には、彼女自身でもうまくわからない不安定さがあり、

その不安定さに戸惑いながらも、自分が置かれている状況には、

とても感謝している。満足している。

 

だから、彼女は微笑んでいます。

その微笑みには、優しさがあふれています。

 

これは、とても優しい絵です。

今までに見た、どんな絵よりも優しい絵だと思います。

その、今までに見たことのない、とても深く大きな優しさが、

私に涙を流させたのだと思うのです。

 

どれほどの間、その絵の前に立ち尽くしていたか、わかりません。

やがて視界の隅に、人の姿が映り、私は現実に引き戻されました。

誰か他の入場者の方が、この展示スペースに入ってこられたのです。

 

私はもう一度、絵の中の少女と目を合わせ、

心の中で挨拶をして、そっとその場を離れました。

 

今こうして思い出しても、あの少女の絵には、とても深いものを感じます。

あの絵は、その他の展示作品たちとは、全く違っていました。

本当に、特別な何かがあります。

 

恐らくあの絵は、さくらももこさんにとって、とてもプライベートなものだと思います。

他の「作品」とは違って、さくらさんが、自分自身だけのために描かれたものだと思うのです。

 

そういう意味において、あの絵は「さくらももこ」の絵では無いとも言えます。

さくらももこ」という漫画家であるところの、本当のご本人。

何というお名前か存じ上げませんが、本当のご本名の自分自身に向けて描かれたものだと思うのです。

 

だからあの絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」に近いものだと思います。

ダ・ヴィンチが「モナリザ」を終生手放すことなく、ずっと自分の手元に置いていたのと同じように。

さくらさんは、あの少女の絵を、他の誰でも無い自分自身のためだけに描き、そして時折、じっと見つめられていたのではないでしょうか。

そんな風に思うのです。

 

これが、「さくらももこ展」で一番強く印象に残ったことです。

 

 

この展覧会は、8月23日まで静岡市美術館で開かれています。

その後は9月から、神戸に移って展示されます。

是非、多くの方にご覧いただきたいと思います。

 

なんだか長々と書いてしまいましたが。

ちびまる子ちゃんの原画を見て、プッと笑うだけでも、充分に楽しめますので。

ご興味を持っていただけましたら、是非どうぞ。