さて。
ようやく最後の展示について書けるようになりました。
それは、会場の出口近くに飾られている、1枚の絵です。
タイトルは、「少女の絵」。
とてもシンプルなタイトルです。
描かれているのは、一人の少女。
少女がじっと、こちらを見つめています。
ただそれだけの絵です。
それだけの絵なのですが。
私はその絵を一目見たとき、そのまま目を離せなくなってしまいました。
少女はじっと、こちらを見つめています。
黒く、つぶらな瞳です。少し潤んでいるようにも見えます。
その瞳は、何かを伝えようとしているようです。
少女は微笑んでいます。口元で、それがわかります。
でもその微笑みは、無邪気な子供の笑顔ではありません。
口元では笑いながら、目では何かを訴えている。
じっと、何かを伝えようとしている。
そんな、ちょっと不思議な絵なのです。
私は少女の目に引き込まれ、じーっと彼女を見つめました。
彼女も黙って、じーっと私を見つめていました。
そして気がつくと、私は泣いていました。
涙が次々と溢れて、頬を伝います。
涙を拭って、鼻をすすりながら、
私はじっと彼女を見つめていました。
幸い、もう閉館時間に近い時間帯だったので、入場者はまばらで。
その展示エリアにいたのは、私の他には、美術館の女性職員だけでした。
だから私は、誰からも怪しまれることなく、泣き続けながら、じっとその絵を見ていることができました。
(注:これは「少女の絵」ではありません)
じっと見ていると、少し絵の中の少女の気持ちがわかったような気がしました。
それは錯覚かもしれませんが。
でも、絵の中の彼女は、少し戸惑っているようでした。
もしかしたら彼女は、自分自身が自分自身であることに、
うまく馴染めていないのかもしれない。
そんな気がしました。
彼女の中には、彼女自身でもうまくわからない不安定さがあり、
その不安定さに戸惑いながらも、自分が置かれている状況には、
とても感謝している。満足している。
だから、彼女は微笑んでいます。
その微笑みには、優しさがあふれています。
これは、とても優しい絵です。
今までに見た、どんな絵よりも優しい絵だと思います。
その、今までに見たことのない、とても深く大きな優しさが、
私に涙を流させたのだと思うのです。
どれほどの間、その絵の前に立ち尽くしていたか、わかりません。
やがて視界の隅に、人の姿が映り、私は現実に引き戻されました。
誰か他の入場者の方が、この展示スペースに入ってこられたのです。
私はもう一度、絵の中の少女と目を合わせ、
心の中で挨拶をして、そっとその場を離れました。
今こうして思い出しても、あの少女の絵には、とても深いものを感じます。
あの絵は、その他の展示作品たちとは、全く違っていました。
本当に、特別な何かがあります。
恐らくあの絵は、さくらももこさんにとって、とてもプライベートなものだと思います。
他の「作品」とは違って、さくらさんが、自分自身だけのために描かれたものだと思うのです。
そういう意味において、あの絵は「さくらももこ」の絵では無いとも言えます。
「さくらももこ」という漫画家であるところの、本当のご本人。
何というお名前か存じ上げませんが、本当のご本名の自分自身に向けて描かれたものだと思うのです。
だからあの絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」に近いものだと思います。
ダ・ヴィンチが「モナリザ」を終生手放すことなく、ずっと自分の手元に置いていたのと同じように。
さくらさんは、あの少女の絵を、他の誰でも無い自分自身のためだけに描き、そして時折、じっと見つめられていたのではないでしょうか。
そんな風に思うのです。
これが、「さくらももこ展」で一番強く印象に残ったことです。
この展覧会は、8月23日まで静岡市美術館で開かれています。
その後は9月から、神戸に移って展示されます。
是非、多くの方にご覧いただきたいと思います。
なんだか長々と書いてしまいましたが。
ちびまる子ちゃんの原画を見て、プッと笑うだけでも、充分に楽しめますので。
ご興味を持っていただけましたら、是非どうぞ。