彼と握手を交わして別れた後、海岸からホテルへと向かう道を歩きながら、まだ私の頭は混乱していました。
彼はなぜ、コインが欲しかったのだろう?
日本のコインでも、チリのコインでもいいというのは、なぜだろう?
それを家族や友人とシェアするというのは、一体どういう事だろう?
いくら考えてもわかりません。
そしてまた何よりも、最後に自分が嘘をついてしまったという事。
その事実が、なんともやり切れない思いを残していました。
果たして、自分のとった行動は正しかったのだろうか?
そんな風に悩みながら、ホテルに戻ったのです。
そうしてホテルの部屋に戻り、ベッドに寝転んでぼんやり天井を眺めているうちに、だんだんとわかってきました。
きっと、彼が求めていたものは、記憶を繋ぎとめるためのツールなんだ。
そう私は気づきました。
朝の海岸で私たち二人が出会い、ささやかな会話を交わしたという事実。
彼はそれを、しっかりとした記憶として残しておきたかったのでしょう。
そのために、何かソリッドで確かなものを、私から受け取りたかったのです。
言うまでもなく、コインというのはとてもソリッドで、安定なものです。
そして手軽で、誰でも持っています。だからきっと、このジャパニーズもコインを持っているに違いない。それを記念に貰いたい。彼は、そう考えたに違いありません。
だから、それはジャパニーズ・コインでも、チリのコインでも良かったのです。
もっと言うなら、コインでなくても良かったのです。
とにかく何か、ソリッドで確かものを私から受け取りたい。
そうすれば、例えばそれを家族や友人に見せて、
「今朝、海岸でジャパニーズと話をしたよ。このコインを貰ったんだ」
そんな風に、思い出として語って聞かせることだって出来るのです。
それが、彼が言っていた「シェアする」の意味に違いありません。
そう考えると、私はもう、居ても立ってもいられないような気持ちになりました。
自分のとった行動は、間違いだったのです。とても大きな間違いです。
あの時、何も警介する必要はなかったのです。
彼が欲しいというものを私は持っていたのだから、ただ素直に渡せば良かったのです。
でもそれをせず、私は嘘をついて、断ってしまった。
だから彼は、私からソリッドなものを受け取れなかった代わりに、握手を求めたのでしょう。
がっしりと私の手を握り、じっと目を見つめることで、精一杯に何かを自分の中に刻もうとしたのです。
私はホテルのベッドに寝転んだまま、激しく後悔しました。
出来ることなら、今から海岸まで走って行って、彼にコインを渡したい。
そんな気持ちでした。
でももちろん、そんなことは出来ません。全ては終わってしまったのです。
私は悶々とした気持ちのまま、ベッドで天井を見つめていました。
こんなに深い後悔をしたのは、久しぶりです。
どうしようもなく、ただぼんやりと天井を眺めていたのですが、やがて私は、まだひとつの希望が残されていることに気づきました。
それは彼が、犬を連れていたことです。
もしかしたら彼は、毎朝あの海岸沿いを、犬を散歩させているのかもしれません。
それが日課になっているのなら、また明日、同じ時刻に同じ場所へ行けば、ひょっとして彼に会えるかもしれない。そう思ったのです。
とても微かな希望ですが、試してみる価値はあります。
私はなんとか気を取り直して、ベッドから起き上がりました。
そろそろ、取引先と一緒に出かける時間が迫っていました。