これは今から60年ほど前に、東京の帝国ホテルで、ピカソに会った女子高生の話です。
女子高生はその後やがて、中学校の美術教師になり。
私は中学1年の時に、そのK先生の授業でピカソの話を聞きました。
その時の記憶をもとに、書いています。
その1.〜 その3.まではこちらです。
ピカソに会った静岡の女子高生(その1)〜 あなたはなぜ、こんな変な絵を描くのですか? - ぼっこメモ
ピカソに会った静岡の女子高生(その2)〜 帝国ホテルの張り込み作戦 - ぼっこメモ
ピカソに会った静岡の女子高生(その3)〜 感じたものを、感じたままに - ぼっこメモ
さて。
帝国ホテルの部屋で、憧れのピカソに会った、女子高生のK先生。
ホテルの部屋で話を終えた後、ピカソは、なんとこう言ったそうです。
「せっかくだから、感じたものを、感じたままに描くという事を、今ここで試してみようか」
つまり、K先生をモデルにして、簡単なデッサンをしてくれるというのです。
もうここまでくると、奇跡としか言いようがありません。
彼女は信じられない思いのまま、通訳さんに促されてピカソに向き合いました。
ピカソは、あのぎょろっとした目で彼女を見つめ、そしてスケッチブックに、さらさらっと、彼女のデッサンを描いたのです。
描かれた絵がどんなものだったか。とても興味がありますよね。
K先生は笑いながら、教室で、こんな風に話してくれました。
それがねー、もう本っ当ーに、ピカソの絵なのよ。
私の顔がね、もう全然、私の顔じゃないのよ。
目がこーんなところについて、鼻はこーんな風になって。
え?これが私???っていう感じの絵だったのよ。
身ぶり手ぶりを交えながら、K先生はそう語ってくれました。
だからきっと、
こーんな感じの絵だったのかもしれませんね。
そんな風にして、K先生とピカソとの、貴重な対面の場は終わりました。
彼女はピカソと固い握手を交わし、記念に自分のデッサンまでもらって、静岡に帰ったのです。
本当に、本当に、一生の思い出です。
さて、そのデッサンは、その後どうしたのか。
なにしろピカソのデッサン画です。気になりますよね。
とんでもない高額な値段がついてもおかしくない、とてもとても貴重なものです。
ところがねー。
と、K先生は教室で話を続けました。
そのデッサンは、自分の宝物にして、大切に大切にしまっていたんだけどねえ。
実は、もう今は無いのよ。
と、遠くを見るような目をしました。
どういう事かと言いますと。
ずっと後年になったある日、K先生の母親が、K先生の部屋を整理したのです。
もうお分かりですね…。
部屋を片付けていたお母さんは、そのピカソのデッサン画を見つけ、
なんだか変な落書きだな・・・、
と思って、捨ててしまったのでした。
なんとも、残念な結末です。
もし今残っていたら、本当にとんでもない値打ちものだったのですがね。
母親が子供の部屋を整理すると、ろくな事にならない、という見本のような話です。
でもね、そんな事はもういいの。
と、K先生は言いました。
とにかく、私はピカソと会ったんだから。
実際にピカソと話ができて、絵まで描いて貰っちゃったんだから。
その思い出だけで、充分よ。
更にK先生は、話を続けます。
ピカソは日本を離れた後で、記者から日本の感想を聞かれて、こう答えているの。
日本の景色は素晴らしかった。
日本の食べ物も素晴らしかった。
そして、日本の女性は素晴らしかった。
きっとその素晴らしい女性って、私のことだったりしてね。
そう言って先生は、いたずらっぽく、うふふと笑いました。
そして最後にK先生は、こんな風に話を結びました。
みんなも、もう中学生でしょ。
だから何か興味を持つことがあったら、それをとことん追いかけたらいいよ。
まだ自分は中学生だから、とか、余計なことを考えちゃダメ。
なんでも自分で考えて、動くこと。それが大事だよ。
そうすれば、こんな風にすごい事が起こるんだから。
人生って楽しいでしょ。すごいでしょ。
本当に、ピカソに会えちゃったりするんだからね!
そんな風に先生は、きらきらとした瞳で、力強く僕たちに話してくださったのでした。
これが、ピカソに会った女子高生の話です。
あちこち記憶が飛んでいるので、不正確な部分もあるかもしれません。
でもそれは、すべて私のせいです。K先生が悪いわけではありません。
読んでくださった方が、ひとりひとり、それぞれに何かを感じ取っていただけたら幸いです。
これで、ピカソの話を終わります。
ありがとうございました。