簡単に説明しますね。
素領域理論では、空間というものが、非常に細かいブツブツで構成されていると考えます。このブツブツが、素領域(そりょういき)です。
その素領域の中に生じたエネルギーが素粒子となって、素領域から素領域へと、ぴょんぴょん飛んでいきます。パチンコの玉が、釘に当たって右に行ったり左に行ったりするのと同じです。パチンコの玉が素粒子で、パチンコ台の釘が素領域と思って下さい。
それで、この釘、つまり素領域である釘が、どこに何本あるとか、どの辺に密集しているとか、そういう素領域の分布を表しているのが、先ほどの波動関数(はどう かんすう)なんです。
この考え方は、湯川先生が提唱されたオリジナルの素領域理論だけからは出て来ません。湯川先生の理論に、僕の額に浮かんだ方程式を合わせると、この考え方が導き出されるんです。
だから、僕の見つけた方程式は、素領域理論とシュレーディンガー方程式を結びつけて、波動関数ψ(プサイ)という正体不明の概念を、「素領域の分布具合」として説明づけて、波動関数の謎を解く事ができたんです。
先ほど話したように、僕はこの方程式をドイツの高速道路、アウトバーンで閃いて、ホテルの部屋で計算して、理論として組み立てました。それで、僕はこの理論を論文にまとめて、アメリカの学会に送ると同時に、湯川先生にも送りました。
当時はパソコンなんて無いから、タイプライターでパチパチ打ちましてね。数式の部分は、手書きで入れるんです。そうしてゼロックスでコピーを取って、4部をアメリカの学会に送り、1部を日本の湯川先生へ航空便で送ったんです。メールなんて無い時代ですから。
アメリカの物理学会はすぐ反応してくれて、3ヶ月でアメリカの雑誌に載りました。半年後には結構有名になっちゃって、おかげさまで、僕はスイスの大学にいたわけですが、あちこち講演で飛び歩くようになりました。
ちょうどその頃、湯川先生は、もうお亡くなりになる直前でした。
それで僕の送った論文が京都大学の基礎物理学研究所に届いて、僕の先輩がそれを、湯川先生の病室まで持って行って下さったんです。
病室で湯川先生は、僕の論文をじーっとご覧になって、
「ああ、保江君はついに、ここまで来たか」と仰ったそうです。
そして病室のベッドに横たわったまま、亡くなられるまでずっと、その論文を離すことが無かったそうなんです。
3年後に僕が日本に帰った時に、その先輩が教えてくれました。
まあ、そんなわけで。
このシュレーディンガー方程式が、素粒子の全ての動きを記述しているという事実。それ自体が、実は、この空間の背後にある本当の構造が、素領域理論の形になっているということを示しているんです。
つまりパチンコ台の釘みたいな素領域(そりょういき)がいっぱいあって、その釘がどの辺りにいっぱい打たれているか、という分布を表しているのが波動関数ψ(プサイ)なんだ、ということをご理解下さい。
/////(ひとことメモ)/////
これが、保江先生の1978年の論文です。
タイトル「素領域理論についての新しいアプローチ」
/////(ひとことメモ おわり)/////