空外上人のお墓は、京都の知恩院にあります。
行けばすぐ分かります。知恩院の奥に「特別霊園」というのがあって、そこは観光客でも誰でも入れます。
入るともう、すぐ分かります。大きな自然石で出来た墓碑があって、それが空外上人のお墓です。そして、その後ろに湯川先生のお墓があるんです。
湯川先生は、空外上人の隣に埋葬して欲しいと、遺言を残されていたんです。これは不肖、弟子の末裔である僕も、つい最近まで知りませんでした。湯川先生は、それだけ空外上人のことを慕われていたんですね。
まあ、そんなわけで。
この空間というものが、素領域と呼ばれるもので構成されていて、それが我々の情や念で変化するんだと。そういう風に考えると、我々が素粒子を認識しただけで、その素粒子の動きが止まるという、不思議な現象を説明することができるんです。
そしてその考え方は、空外上人というお坊さんが説いていた、この宇宙の成り立ちや枠組みとも合ったものなんですね。
こういう考え方は、確かに、ヨーロッパやアメリカの人たちには理解が難しいだろうなと思います。彼らにとっては、シュレーディンガー方程式の、正体不明の波動関数ψ(プサイ)を受け入れるところが精一杯でしょう。
ましてや、情や念なんていうものが出てきたら、もう駄目です。
シュレーディンガー方程式
ちなみに、このψ(プサイ)という文字は、物理学以外の学問では、「思念」を表します。ということはきっと、シュレーディンガー自身は、何となく分かっていたんですね。この波動関数は、人の念とか愛とか魂とか、そういう別世界の概念に繋がるものなんだと、何となく理解していたんだと思います。
だからこそ、こんなψ(プサイ)なんていう怪しいギリシア文字を選んで使ったのでしょう。僕はそう思います。
物理学というのは、英語でフィジックス(physics)と言います。
このフィジックスの語源は、フィリア(philia)というギリシア語です。
フィリアって、一体どういう意味かというと、愛なんです。
つまり物理学、フィジックスというのは、「愛」フィリアの複数形なんですよ。
愛が一杯に満たされた、この空間について学ぶのが、物理学です。
だからね、きっとギリシア時代の人たちは、分かってたんだと思います。この我々の空間の向こう側にあるものは、愛や情や念なんだと。そういう愛の中に、我々は存在しているんだと、きっと理解していたんです。そしてそれは、岡潔や空外上人の教えと同じものです。
面白いですよね。科学技術がどんどん進んで、非常に細かい素粒子1個レベルの研究が出来るようになってきたら、結局、物理学はギリシア時代の「愛」に戻ってきたんです。だから物理学って、決して無味乾燥なものじゃありません。